固定観念を疑って「いのち中心」で生きるために
『地球少女アルジュナ』は、2001年1月からテレビ東京系で放送された全13話(第九章「生まれる前から」は未放映)のオリジナルアニメだ。「マクロスシリーズ」で知られる河森正治が原作・シリーズ構成・監督を担当したサテライト初の元請け作品で、地球環境への社会的な問題提起の激しさで知られる。ヒンドゥー教の『バガヴァッド・ギーター』を参照して制作された点でも異色の作品である。
まず基本設定から紹介していこう。主人公は、普通の女子高生・有吉樹奈(ジュナ)である。恋人の大島時夫とバイクのツーリング中、事故に巻きこまれて臨死状態となったことをきっかけに少年クリスのテレパシーで呼びかけられ、「時の化身」として覚醒する。オーラスーツを身にまとうジュナは宙を飛び、怪物的な存在ラージャと弓矢で対峙することになるのだが……。
と紹介すると、変身美少女のバトルアニメと錯覚されるかもしれない。映像は実に華麗だ。サテライトが得意とするCGとデジタル撮影の融合に加え、3Dモーション監修は板野一郎が担当し、クライマックスでは守護神アスラの高機動戦闘もあってビジュアルの迫力も素晴らしい。キャラクターデザインの岸田隆宏たち実力派アニメーターが結集し、バトルやアクションシーンのみならず、自然や生活描写などの作画面でも実に充実、さらに音楽も菅野よう子が手がけていて、重層的に作りこまれた作品世界が描き出されていく。
ところが始まってすぐ、本作の一筋縄ではいかない側面が見えてくる。冒頭でジュナは〝戦え〟という指示のテレパシーをクリスから受けとったと考え、ラージャを敵性生命体と認知して矢を放つのだが、「愚かな」と叱責を受けてしまう。〝戦え〟とは、ジュナの勘違いだったようなのだ。セリフとして伝えられる言葉は〝正しい〟と受け止めること自体も視聴者の思いこみだと、そこから疑わないといけない作品なのだ。
本作はこうしたメタな姿勢に貫かれ、特に「思いこみ」や「分かり合えないこと」への警鐘には大きな比重がおかれている。われわれ現代人が「当たり前」と確信しすぎていることすべてに疑問を投げ、本質まで遡ろうとする意図がこめられている。特に生活の利便さを支える文明の背後に隠されてきた人間中心主義、それが過剰に進歩させたシステムと、結果として訪れている地球環境破壊の危機への懐疑は苛烈だ。他にも巨大発電所事故、薬害、農薬や遺伝子組み換え、生命倫理などを扱ったことで、当時の視聴者からは反発もあった。
たとえばファストフード(ハンバーガー)の美味しさ、その素材となる農耕や牧畜が、あまりにもシステマチックで生命尊重に反するとも受け取れる描写が、たしかに存在する。
それゆえ自然農耕礼賛、文明批判、エコロジー的なメッセージを込めたアニメと受けとられて、当時のアニメ雑誌にも反発の読者投稿が掲載されたほどだ。ところが決して押しつけのメッセージではなく、厳密には「問題提起」が主眼であることは、放送当時のアニメ誌に掲載された河森正治監督の言葉から伝わってくる。
「(10年ほど前に中国を訪れ、内モンゴルやシルクロードの奥地を見るまでは)どちらかというとテクノロジー万歳系でずっと育ってきて、元々メカ好きだったんです。それがいざ、そういったものが無い社会にいった時のカルチャーショックの大きさが、それ以降の作品を作る時にずっと原動力になっています。どちらが良い悪いなんて簡単には決められないし、どちらにも魅力がある。そういう中で、今生きるって何だろう、というのが『アルジュナ』という作品のキーワードですよね。(中略)目にウロコがついて見えなくなっている事はたくさんある。それも想像を絶するくらいついている(笑)。それが落ちた時に見えてくるものは何か? その辺を見極めていくのは、エンターテインメントになり得るんじゃないかと」(月刊アニメージュ、徳間書店、2001年1月号)
だから「文明批判だ」と決めつける行為自体も、もしかしたら目のウロコである可能性を、まずは疑っていかねばならない。もしかしたら『アルジュナ』を再見することで、この先ポジティブな発展を始められるヒントが浮かぶかもしれないのだから。
事実、本作は近年の河森正治の活動にも繋がっている。2025年の大阪・関西万博において、シグネチャーパビリオン「いのちめぐる冒険」のテーマ事業プロデューサーを河森正治が務め、コンセプトを詰めた原点は『地球少女アルジュナ』だと公言されている。
2001年の本作では「大地の叫び」として描かれた現代文明の歪み(環境汚染や生命倫理など)は、万博パビリオンでは「宇宙スケールの食物連鎖、いのちの循環」として発展的に拡張され、さらに「いのちは合体・変形だ!」とアクエリオンシリーズのテーマも交えながら、宇宙・海洋・大地のいのちをめぐる冒険を描くことになった。それは「いのち中心のダイナミズム」の訴求と語られているが、たしかに『アルジュナ』にその萌芽を改めて多く見つけることが可能だ。
実際に初出から四半世紀が経過した2026年現在、『地球少女アルジュナ』が提示する「問いかけの姿勢」はより身近になり、再考するに値する状況に(残念ながら)なってしまった。東日本大震災で原子力発電所事故が発生し、新型ウイルスが世界に蔓延し、気象変動で大きな水害が発生する。さらに直近では大国による武力による現状変更への野望が進み、石油とエネルギーの危機、つまり70年代のオイルショック再来の可能性が取り沙汰されるまでに至っている。
生活の基盤が脅かされる体験を経た現在、『アルジュナ』を介して見えるものは大きくなった。特に本作のクライマックスで描かれる、ありとあらゆる石油製品(プラスチックなど含む)が崩壊し、化繊の衣類が引き裂け、生活水さえ飲めなくなって日本が滅亡に瀕する恐ろしさは、フィクションとは思えないほど身近に迫って感じられる。
「ここをこう観てほしい」と規定するのではなく、いかようにでも考えられる自由度の姿勢が、予言的な性格を『アルジュナ』にあたえたということかもしれない。アニメの本数が激増する割りに挑戦的で新鮮な企画が目立たない現在、改めて貴重なものだとも思えて仕方がない。本作を肯定するのも否定するのも、すべては観た者、明日を生きる人びとの肩にかかっている。何かを変える行動をするもしないも、選択次第なのだ。
こう考えたとき、毎回本編の冒頭に出る「今 この星の上に生きる 奇跡」というキーワードは、自己中心、人間中心ではなく「いのち中心」で再考を試みるとき、とても貴重な提言だと感じられるのではないだろうか。
文:氷川竜介(アニメ特撮研究家/ZEN大学教授)
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