藤沢周平(1927~1997年)はエッセイ『周平独言』のなかで、読者と「ひとつの小説世界を共有出来ることを、しあわせだと思うことがある」と記している。その藤沢が映画「山桜」を観たならばおそらく、映画のつくり手たちと『山桜』を共有出来た幸福感を抱いたことだろう。
『山桜』は『時雨みち』(1981年青樹社、1984年新潮文庫)に収録されている一編である。ごく短い物語だが、好きな作品に『山桜』を挙げる愛読者も少なくないと聞く。それはひとつには藤沢作品ならではの余韻や気品を代表する小説だからであろう。藤沢の小説を「声高な主張ではなく、文章的声音は、あくまで清音で、低い。水のように素直、端正な文章だが、品高い」と田辺聖子は称した。小説『山桜』はまさにそのことを実感させる。そして映画「山桜」も。
武家社会の主流ではなく、傍流の男たちが、柵の中でも人間らしくあろうとする姿を藤沢は多くの作品で多彩に描いている。小説『山桜』の手塚弥一郎もそのひとり。が、仔細を描いてはいない。武士として傑出した弥一郎の行為
――物語を大きく動かすことになる――
を描くために費やされたのは、作中、たった一行である。映画「山桜」ではそこを詳らかにしてみせた。弥一郎に映画ならではの肉付けがされ、野江の存在がより奥行きを持ったようだ。
藤沢の小説では、一言、一行が鮮やかに心情、場面を切りとる。端正な文章から広がる世界は情味豊かで、それはつまり映画的な一行でもあったのだ。
あるいは、次のくだり――
「道は、田仕事の百姓が使うだけのものらしく、雑木の斜面と、丘のすぐ下まで耕してある水田にはさまれて、ところどころ途切れるほどに細くなったり、また道らしくひろがったりしながらつづいている。/丘が内側に切れこんで、浅い谷間のようになっている場所に出た。谷間の奥には、まだ汚れた雪がへばりついていて、そこからにじみ出た水が道を横切って田に落ちこんでいた。ぬかるみを渡りそこねて、野江は少し足袋を汚した。」
――野道の描写で示した野江の過去である。作中人物の心象を風景に託す、藤沢作品の醍醐味ともいえる箇所だ。小説では汚れた足袋にはこれ以上触れないが、映画ではその足袋にその後の場面がある。
きめ細かな風景描写で人物の造形を立ちあがらせる藤沢の手法そのままに、何気ない日々の営みを丁寧にすくいとっている映画「山桜」。野江の足袋というささやかな情景ではあるが、小説家と映画のつくり手とが交感した場面に思われ、心に残る。
『山桜』はまた、藤沢周平自身の姿を想い起こさせる。「私という人間は作品に出ている。それだけでも鬱陶しい」と、藤沢周平は自伝めいたものをためらった。「書いたものがすべてで余計な物はいらない」と、記念碑的なものを避け続けた。小説家が小説以外のところで顔を出すこと、ものをいうことを極度に嫌った藤沢。その気高さは『山桜』の野江や弥一郎に重なる。